沖縄戦と沖縄県平和祈念資料館

おはようございます

高松市春日町のハローズ内にあります
予防歯科、メインテナンス、インプラントの
たかまつファミリー歯科医院
医院長の高松です

 

残念ながら首里城は燃えてしまっていたので
守礼門のみの撮影となりました…
中にすら入れないので
行っても意味がありませんでした

今回の火事で首里城はなくなってしまいましたが
1945年の沖縄戦では
ほとんどすべてがなくなりました

資料館の冒頭では

1945年3月末、史上まれにみる激烈な戦火がこの島々に襲ってきました。
90日におよぶ鉄の暴風は、島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊し、20数万の尊い人命を奪い去りました。
沖縄戦は日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦であり、
アジア・太平洋戦争で最大規模の戦闘でありました。

沖縄戦の何よりの特徴は、
軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上まわっていることにあり、
その数は10数万におよびました。
ある者は砲弾で吹き飛ばされ、
ある者は追い詰められて自ら命を絶たされ、
ある者は飢えとマラリアで倒れ、
また、敗走する自国軍隊の犠牲にされる者もありました。
私たち沖縄県民は、
想像を絶する極限状態の中で戦争の不条理と残酷さを身をもって体験しました。

と、あります

沖縄戦を通じた戦没者は18万8136名で、
県民で亡くなったのは約12万2000名といわれる。
このうち軍人軍属2万8000名を除くと、住民は9万4000名にのぼる。
日本軍の死者は
沖縄県出身の軍人軍属を含めて9万4000名であり、沖縄住民とほぼ等しい。
とのことです

沖縄戦に突入した時点で
沖縄が捨てられ
本土決戦までの時間稼ぎをするために
持久戦を要求されたことを考えると
本当に悲惨ですね

最前線で戦うアメリカ人も
2万人がなくなりましたが

その人たちも
自ら戦争を希望したわけではなく
仕事として
軍人をやっていたにすぎません

沖縄の人たちは捨て駒にされて
私たちは1945年で戦争は終わりましたが

沖縄は1972年まで
アメリカに占領され続け
翻弄され続けても

それでも恨まずに
日本に帰属してもらえる
沖縄に感謝を覚えました

戦争で得をするのは
支配層と軍需産業のみです

あんな悲惨なことは
二度と起こしてはいけません

日本人だけでなく
戦争を従っている人間
島を取り合おうとしている人間
すべての人間に
戦争によって

自分の家族や親せきがどうなるか

平和祈念資料館を通じて
想像してほしいと思いました

投稿者プロフィール

高松
高松院長
たかまつファミリー歯科医院のスタッフです。
治療終了時に喜んで笑顔になって頂けるよう全力を尽くします。
どんな些細なことでもご相談ください。
きっと納得できるような良いアドバイスができると思います。
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